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青石の里・小川町 第2回

  和紙のふるさと・小川町

 最終更新日:2016年4月21日

 小川町・東秩父村で継承されてきた細川紙の紙漉き技術が、一昨年11月、石州半紙、本美濃紙とともに「日本の手漉和紙技術」としてユネスコ無形文化遺産に登録されました。
 この地域の紙漉きは1300年前にさかのぼるともいわれ、隣のときがわ町の慈光寺(673年開山)の写経用紙を供給したともいわれています。
 和紙は江戸時代に広く生産されるようになりました。大消費地の江戸に近いため、紀州細川村から良質な紙を漉く技術が移入されました。これが、「細川紙」の名前の由来です。柔軟で強靭であるという特徴から、江戸商人の帳簿(大福帳)などとして需要がありました。大正時代には800軒以上が農家の冬場の副業として紙を漉いていて、晴れた日に天日干しをする有様は「ぴっかり千両」と呼ばれました。(図は「紙漉き工程図絵」明治40年代より)
 小川和紙は、戦時中武器として利用されました。風船爆弾です。直径10mの和紙製の気球に爆弾をつるして、偏西風を利用してアメリカ本土を攻撃したというのです。実際に約9000発が放たれて、285発が西海岸に到達したそうです。この気球の部分に細川紙を改良した気球紙が使われ、紙漉きの家々では何に使われているかもわからないまま、増産命令によりお国のために紙を漉かされました。
 現在では、手漉き工房がわずか11軒ほどになってしまい、細川紙技術者協会が後継者育成にとりくんでいます。手漉き和紙体験のできる「埼玉伝統工芸会館」(小川町)や「和紙の里」(東秩父村)を訪ねてみるのもよいでしょう。

(埼玉支部 久津間文隆)



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